「手づくり洋菓子店 ノエル」 パティシエの宮澤です。
店は平成17年に開店しました。
夫婦ふたりでやっている店なので、朝から晩まで気がすむまで仕事をしています。
[[ マイペースで作ることが好きな子供でした ]]
思えば、子どもの頃からとにかくマイペースな子でした。
保育園へ通っている頃からあちこち道草しながら行くものですから、いつもみんなが集まって何かしているころに到着していました。
共同生活になれるまでちょと時間がかかりましたね。
そんな感じで、小学校から高校まで、いつもギリギリに登校するような生徒でした。
好きな科目は小学校の時は図工と理科の実験。
何か作ることが大好きでした。
今も毎日飽きずにケーキ作りをしていますが、ずっと続けていけるのは作ることが好きだからと思っています。
やっぱり好きなことでないと仕事は続きません。
[[ 実家は食料雑貨品店 ]]
私が保育園に通っている頃、両親が食料雑貨品店を始めました。
今でいうコンビニのような店で、魚や肉、野菜、お菓子、文房具など色々な商品を売っていました。
そういえば、衣類なんかもありました。
宴会の時の皿盛りなど、父が仕出し料理もしていました。
気がついた時には、子どもながらに将来は親の後を継ぐものだと思っていました。
高校卒業後、店を継ぐには料理ができないといけないだろうという単純な理由で調理師学校へ行きました。
初めて東京へ行くときに、山手線は何時の電車があるのか聞いたことを思い出します。
その時、受験で東京にいた友達から、気にしなくてもすぐ来ると言われました。
行ってみるとホントにすぐに電車が来て、しかもえらく長くつながっていたのに驚きました。
[[ 東京での修行がはじまりました ]]
卒業後、東京都内の三笠会館というレストランに就職しました。
そこはボーイさんを2年間経験しないといけない店でした。
まずは言葉使いを直すことから始まり、接客から料理の説明など色々勉強しました。
かなりキビシい教育をされましたが、今の仕事の基礎になっています。
しばらく接客をしているうちにふと思いました。
料理を覚えるために来たわけですが、料理を極めるは奥が深すぎます。
このままではいつまでたっても地元に帰れないぞ、と思いはじめました。
そのころ、レストランで出しているデザートも面白いなと思っていたので、ベーカリー部門への異動を希望しました。
本来の目的とは違ってきましたが、興味がある方へ自然に動いて行ったような気がします。
洋菓子の仕事はザックリ言うと仕込みと仕上げに分かれています。
それとスポンジやタルトなど、焼き物をするオーブンも重要です。
当時はスタッフみんな若くてやる気いっぱいの職場でした。
仕事が終わってからも絞りの練習や細工物など、お菓子作りにどっぷり使った生活を満喫しました。
三笠会館のベーカリー部で覚えた技術が今の基礎になっています。
[[ ケーキの本場ヨーロッパへ行こう! ]]
ひと通りケーキの作り方を覚えたところで、そろそろ地元へ帰ろうと思いました。
レストランを退職し、せっかくなので洋菓子の本場、ヨーロッパを見てから帰ろうと思いました。
できればフランスやドイツなどで仕事もしてみたいと思いましたが、そこまで考えずに回れるところを見て来ようと計画を立てました。
飛行機に乗るのも初めてだったので、ガイドブックを見て勉強です。
ユーレイルパスっていうヨーロッパ各地を周れる電車のチケットと時刻表、ユースホステルのガイドブックを用意しました。
あとはリュックと寝袋を持って、1年間のオープンチケットで出発しました。
オープンチケットと言うのは、帰りの予約は現地でする航空券です。
初めての飛行機だったので、ホントに飛ぶのかと思ってましたが、無事に離陸しました。
スイスのチューリッヒ空港に近づいたとき、風景も建物も違うので、外国に来たんだと思って感激しました。
空港に着いて、予習どおり入国してから、最初の難関はホテル探しです。
最初の宿は、ガイドブックの通りに、駅のインフォメーションまで行って安めのホテルを予約して、タクシーで宿まで行きました。
その時は、何かあってもしょうがないという覚悟で行ったような気がします。
そのあとの宿は、ほとんどユースホステルを利用しました。
安いし、バックパッカーばかりなので思っている以上に安全でした。
それに移動も電車かバス、または歩きです。
数日後、スイスのルツェルンに会社の先輩が居たので挨拶に行きました。
とても親切な先輩で、一週間いっしょにスイスの中を旅行しました。
けっこう長い休みも取れるみたいです。
別れ際に、良かったらいっしょに働かないかと言ってくれました。
思ってもいなかったことなので、3カ月あちこち周ってから、またスイスに戻ってくることにして旅に出ました。
まだ東ドイツの中にあったベルリンやノルウェーのノールカップの近くまで行ったり、
間違えてどこに着いたのかわからなかったところなど、面白い経験ができました。
ふたたびスイスに戻ってきて先輩といっしょに働き始めました。
ドイツ語もぜんぜんわかりませんでしたが、慣れた仕事だったので、単語を教えてもらいながらやってました。
そのうちに店のスタッフとも何となくコミュニケーションが取れるようになるのが不思議です。
しばらく生活をしているうちに、日本の良さも感じるようになりました。
お菓子作りも地元の人たちに喜ばれることが大切だと思いました。
そうこうしているうちに先輩が一時日本に帰ることになり、自分は少しだけ店に残って仕事をしてから帰る事にしました。
店を出て、帰りはフランスから帰ることにしました。
残りのお金で道具類を買って、旅行代理店で予約を入れて岐路に着きました。
帰りもハプニングがありました。
大韓航空だったんですが、乗り継ぎの釜山空港で飛行機に乗り遅れました。
安いチケットだったので手続きに時間がかかったのが原因みたいです。
でも、航空会社がホテルを手配してくれて翌日日本に帰ることができました。
[[ 飯田に帰ってきたのはいいんだけど ]]
実家へ帰って来たときには、まだ両親とも元気だったので地元のスーパーに就職しようかとも考えていました。
それでもせっかく洋菓子をやってきたので地元の洋菓子店に就職しました。
洋菓子店に勤めてから間もないころです。
あまり話すことの無い父が、「この店はこの先やっていくのは難しいだろうから、好きなことをやっていいよ。」と言いました。
地元にも大型店ができ始めて、だれもが車を持つ時代になったので、個人商店は経営が厳しくなってきていました。
自分は店を継ぐつもりでここまでやってきたので、今さらそういわれても困るなぁ、と思ったのを覚えています。
しかたがないのでそのまま洋菓子店に勤めていました。
その後、たくさんの人たちに独立して店を出せばいいじゃないか。と言われました。
しかし、なんと言っても資金が無くてはどうしようもありません。
銀行の支店長にも相談してみましたが、「お店がやりたければお金を貯めてからやってください。」と言われました。
それはその通りだと思い、その後、洋菓子店、喫茶店、レストランなどいくつかの店を経験しました。
色々な仕事をしましたが、今では、これらの経験がとても役に立っていると感じています。
一番印象に残っているのは、独立する前に勤めていた店で、本部の社長に言われた言葉です。
スタッフと共に研修を終え、挨拶に行った時、「どうですか、売り上げ目標は達成できそうですか?」と聞かれました。
その時、「やってみなければわかりませんが、たぶん大丈夫だと思います。」と答えました。
すると、「やってみなければわからない。その通りです。
思った通りにやってみてください。それでダメだったら仕方ないじゃないですか。」と言われました。
笑顔で言われたので、うまくいかなくても仕方がないのかな?と一瞬思いました。
でもそれは、もしダメだったらあなたは終わりですよ。
と言う意味だと感じた時、これは気合いを入れていかないとヤバいと感じました。
この店では、仕事は自分そのもので、自己表現だと言うことを教えてもらいました。
それ以来、どうしたらお客様に喜んでもらえるだろうか。ということをいつも考えるようになりました。
[[ 父親が急逝、どうしよう ]]
そうこうしているうちに、父が急逝し、母ひとりで実家の商店をやっていくことになりました。
店の仕入れ・経理などは父がやっていたので、いきなり困った状況になってしまいました。
急なことだったので、これからどうすればいいのか必死に考えました。
自分が実家の店に入ったとしてもとても生活していける状況ではありません。
店のある場所も今では商売をするようなところではありません。
もちろん、資金が無いので洋菓子店を開業することもできません。
そのころはレストランの店長をしていたので、次の店長候補が決まるまでの1年くらいの間に何か良い方法は無いか考えました。
色々考えた末、実家の店の台所だけ改装して洋菓子の卸しをやろうと思いました。
[[ 思い込みだけで独立 ]]
最後に勤めていたレストランでは、ケーキも自店で作っていました。
ケーキ担当のスタッフがケーキを作ることに精一杯でちゃんと接客ができていませんでした。
もし、ケーキをよそに委託して、接客に集中できれば売り上げも上がると感じたからです。
まだお客様や販路はありませんでしたが、需要はあるだろうという考えだけでフリーの菓子職人になることを決めました。
勤め人を辞め、大丈夫だろうかと思いながら店の片づけと台所の改装をしていました。
そのとき、厨房機器を入れる業者から、「手づくりケーキを出そうとしている店があるんだけど、
もうすぐ開店なのにケーキが作れないから見てくれないか。」という話がありました。
その時はまだ店の改装が終わっていませんでした。
厨房ができるまでの間、その店に入って教えながらケーキ作りをしていました。
自分の厨房ができてからは、その店にケーキを卸すようになりました。
その後、業者の紹介や問い合わせがあり、少しずつお客様が増えていきました。
実家の店でも少しずつケーキを売るようにしたら、
まさかこんなところでケーキを売っているとは思わない場所なので、面白がって来るお客様も増えました。
[[ 手づくり洋菓子店 ノエル 開業 ]]
独立して3年ほどしたころ、商工会館で決算の相談をしていた時に信金の課長と知り合いました。
今の仕事のことを色々話したことがきっかけで、開店資金を融資してもらうことができ、洋菓子店を開業することができました。
洋菓子店を始めてからしばらくは、ほとんど寝る時間も無いくらいでしたが、
それよりも自分の店が持てたことに感謝して頑張って働きました。
開店から8年近くになりますが、まだまだやってみたいことがたくさんあります。
今は、地元で採れる果物や野菜を使ったお菓子を作って、地元の良さをみんなに知ってもらいたいと考えています。
これからもお客様に喜んでもらえるにはどうすればいいか考えながら、より良い店作りをしていくつもりです。
最近ではひとりで作ることに限界を感じることもあります。
スタッフを増やして、充実感を持って働いてもらえるような店にするのがこれからの目標です。
[[ 奥さんと出会いました ]]
ノエル洋菓子店を開業した翌年、今の奥さんと出会いました。
かなり頑張らないと生活していけるかどうかわからない状態が長く続いていたので、
それまでは、どうやって仕事をして行くか、そればかり考えていました。
結婚するということを考える余裕はありませんでした。
思ってもみませんでしたが、出会いというのはあるんですね。
奥さんの実家も、何年か前まで個人で事業をしていました。
そんな環境で育ったこともあり、商売の大変さもよくわかってました。
何より、今まで会った人の中で初めて気楽に話しができる人です。
頼れるのは奥さんしかいないので、これからはふたりで頑張っていきます。
[[ 今後ともノエル洋菓子店をよろしくお願いいたします ]]
ケーキは、もちろん美味しくなければいけません。
それ以上に人と人を繋ぐものになってくれればと思います。
お誕生日に家族が集まったり、大切な人との楽しいひとときのためものだと思います。
小さな店ですが、これからも色々な勉強をしながら嬉しいひとときのお手伝いができればと考えています。
今後とも、「手づくり洋菓子店 ノエル」をよろしくお願いいたします。
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